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青年海外協力隊の任期を短縮(任短)しました。

こんにちは。丸山です

実は私、任期満了まで残り3ヶ月にして任期短縮しました。してました。

そもそも任期短縮とはというところからどうしてそういう決断をしたのかをまとめていきます。

任期短縮って?

青年海外協力隊の活動期限はきっかり2年間です。私の場合、2017年6月27日に日本を発ったので、2年後の2019年6月26日に日本に到着します。この日程はかなり厳しくしていて、うまくその日に着く便がない時は、あえて直行便や最短距離の瓶を使わず、数カ所を経由したり機内泊をする便を利用して、帰国日に帰ってきます。

そのあらかじめ決められていた帰国日を早めて任期を終了することを任期短縮と言います。協力隊界隈では任短(にんたん)と言います。

つまり、私は本来6月末に帰国する予定を早めて、3月24日に日本へ到着することが決まりました。

任期短縮に至る経緯

私がソロモンで活動していて任期短縮を考えたのは2017年10月頃です。ソロモンに来て4ヶ月そこらで「あぁ帰りたいな」と考えていました。その時は、活動が始まって2ヶ月ほどでして、学校の授業もすでに始まり、むしろだんだんと慣れてきた頃でした。なんでそう思ったのかというと、その時の原因がストレスです。その頃、ソロモンに来て初めて大きく体調を崩し、39度前後の発熱があり、マラリアか?デング熱か?と考えるほど辛い時がありました。そのときに家の環境的に体調を崩した時に買い物に行ったり、生活のことを考えたりするとかなり厳しい環境でした(今も変わらずその家に住んでいます)。

そして、ボランティア調整員に相談をして「引越しができないか」という相談をしました。そのために不動産情報もないこのソロモンで家をしらみつぶしに歩いて「空き家はないか」と町をうろうろして、見つけました。そこは以前隊員が住んでいた物件で、家賃もJICAの規定の範囲内であり、十分満足できる物件でした(蛇口ひねって水が出ただけで嬉々としてました笑)。しばらくしてボランティア調整員が私の任地まで来て、現在住んでいてる家とその私が見つけた物件を実際に見学しにいきました。そしてJICAの所長と調整員で話し合って判断すると言われ待ったのですが、結果は「引越しを要する必要はない」という判断でした。この時、大学受験に落ちた時以上に心底落ち込みました。それだけ、引越したかったんです。その環境から抜け出したかったんです。

それから、11月に入り、追い打ちをかけるように隣人の「騒音事件」。連日連夜に渡って爆音で音楽を鳴らし続ける隣人に揉め、直接言いに行けど、校長に相談せよ、誰に相談せよ一向に解決されず、苦しい1ヶ月が続きました。

そんな中考えていたのが、「こんなところに住んでられっか」でした。

それから年末年始をまたぎ、騒音事件は一応落ち着きました。しかし、2018年5月にまた一つの試練が待ち受けていました。それは「水問題」です。以前ブログに記事にもしましたが、私が住んでいるギゾには水道設備がありません。生活で使用する水は全て雨水に頼っています。つまり、各家庭がレインタンクを持っていて、降り注ぐ雨をそれぞれのレインタンクに貯め利用するシステムを利用しています。

2018年4月は3週間ほどまとまった雨が降らず、次々に同僚の家のレインタンクが空になっていきました。私は一人暮らしですので、家族ぐらしの人たちに比べると圧倒的に水の使用量が少なく、水のストックは他の家よりもありました。

その時に起きたのは「水泥棒」でした。

その時の記事はこちら→http://maruken.me/archives/15

そう、私のレインタンクの水を勝手に盗む人が現れたのです。

もう絶望しました。すっごい嫌な気持ちになりました。

おそらく盗んだ人は罪の意識はあまりなく「地域のものはみんなのもの。だから分け合って当たり前」という意識が強く働いていたのかなと思います。

水がなくなると体も洗えないですし、洗濯も料理もできない、トイレに使う水もありません。飲み水がペットボトルの水が買えるにしても、みんな考えることは一緒でペットボトルの水も品薄になり、入手が困難になりました。

もうこうなると災害です。生活もできないので、当然学校も閉鎖し、学校のトイレも水がないので、悪臭が立ち込むようになりました。

そこで私はすがる思いで、調整員に相談したところ、「現地の人々は生活していますので、頑張ってください」とだけ。

また、絶望でした。どうしてこんな思いをしなくてはいけないのか。確かに現地に人々は生活しています。けれども。です。もうどうしたらいいのかわかりませんでした。死ぬんじゃないかとすら思ったことがありました。その時にも任期短縮を考えました。しかし、その直後に雨が降り、なんとか危機を脱出したのです。

それと同時期に活動もひとしきり慣れ、生活もまあ慣れてきました。そして、もうそろそろ赴任して1年間が経つにつれて、「このままでいいのか俺」という考えが強く浮かぶようになりました。協力隊としての活動具体的なことはしっかりとできておらず、ひたすら授業をこなす1年間でした。生徒たちとの関係もあまり良好ではなく、文化や習慣の壁に挟まれながら「どうしたらいいのだろう」という思いで辛い時期でした。それらのストレスからか食欲もなく睡眠もうまくとれずに「鬱かな」と思うような時期がしばらく続いていました。この時は「任期短縮すべきか」について数人の方に相談をしました。しかし2018年7月には日本への一時帰国が待ってたので、それまでの辛抱だと思い、頑張ることができました。

この時の記事では「帰らない」と言っていますね。

辛くても逃げることができない時

そして、2018年の後半は生徒たちとの関係で頭を悩ましましたが、数件のイベント行うことでなんとか過ごすことができました。

そして2019年に入り、これまでずっと一緒にいた校長が別の学校へ移動になり、仲良くしていた理科の同僚がフィジーへ留学することなどか重なり、配属先の学校で信頼していた人が二人ともいなくなってしまいました。

「校長が私を呼んだのに、校長がいなくなったら私がいる意味がない」と思えるほど、校長には精神的にも活動的にもお世話になっていました。そんな校長がいなくなってしまいました。。。

そんな状況で活動することに対して前向きに慣れなくなってしまったのも、任期をはやめようと思った理由の一つです。

どうして、今このタイミングで任期短縮しようとしたか

そして、2019年1月の後半になり、協力隊が終わった後の人生についても考えるようになりました。しかし、今の環境で残りの任期を過ごすよりも、任期短縮し日本でできることをやっていった方が私にとって有益なんじゃないかと考えました。そして、担当のボランティア調整員と電話で話し合って、2019年3月で任期を短縮し帰国することを決めました。

つまり、3ヶ月をソロモンで過ごすことと3ヶ月を日本で過ごすことを天秤にかけた時に日本で過ごした方が、より自分のためになると判断したから任期短縮をしたわけです。

活動の方は、まだ授業が残っていますが、まだ学校が機能しているうちに引き継いで私が受け持っていたクラスに先生をあてがった方がいいと判断しました。本来の任期で6月までいて帰国した時に、私が帰ってからすぐに長期休みに入り、休みが明けた後「なかなか授業を受け持つ先生が決まらず、生徒たちが放置プレイを受ける」事態が起こりうるだろうと考えたからです。

それにしても、これまでにやることはやったと感じているし、技術移転という形での活動はほとんどできなかったけれども、それに関してはあまり意識していません。ソロモンで今の配属先で、技術移転は厳しいです。このことについてはまだ別記事でまとめたいと考えています。

そして、、、、

話は飛んで、、

まあ、実際のところソロモンに来て「嫌だな」「不便だな」と思うことはありました。それを受け止めて生活できない自分もいました。「途上国の生活には自分は向いてないな」と思いました。

でも、ソロモンに来なかったら「途上国の生活には自分は向いてないな」と思うこともなかったし、ここでしか出会えなかった人たちもいます。

なんだかんだ言っていますが、イヤダイヤダって思って任期短縮するのではなく、むしろ自分の人生をかけて試してもたいことがあるから、それに向けて頑張っみようって思って、自分の人生の可能性をかけて試してみたいと思ったからこの選択をしました。協力隊としてソロモンにいると、そんな自分の可能性を生殺しにしているような感覚が強くって環境のせいにしたっって仕方ないのに、「今の環境がこうだから」と自分に理由をつけて動かない自分がいることにも嫌気がさして、ソロモンにいるとますます自分が嫌いになってくるような気がしてきたからもあります。

限られた時間の中で、嫌だなと思うことを無理に続けるほど人生は軽くないと思います。あと三ヶ月で任期を終えたのだけれども、その三ヶ月の間に日本に帰ることでできることと、ソロモンにいることででできることを自分の中の天秤にかけた結果、日本に帰りやりたいことをやったほうが今後の自分のためにとってより意味のあるものになるのかなと判断したからです。

この判断はなかなかつけることができませんでした。一度、「また二年後!」と見送ってもらったり、国のお金で派遣させてもらい活動させてもらっていた以上そう簡単には帰国することはできません。この決断をするまでにとっても悩みました。簡単ではありませんでしたし、何人かの人には本気で相談に乗ってもらいました。彼らの時間を使ってアドバイスをもらい、私が、私自身の気持ちでこの判断をしました。

後悔はありません。

これからも人生は続いていきます。この決断をこれからの人生に生かしていくように行動すればいいと思うんです。

私の大好きなイチロー選手の言葉にこのようなものがあるのでそれを引用させてもらいます。

苦悩というものは、前進したいって思いがあって

それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。だから苦悩とは飛躍なんです。

私自身もそうですが、「悩む」ということはその過程自体が成長の段階なんだと思います。

だからこれからも悩む人生が続きそうです。

このブログもたくさんに人に読んでもらいたまにですが、こうして更新することだできました。これからもこのブログを通してソロモンのことを発信していきます。

念のために言っておきますが、私はソロモンのことが大好きだし、とってもお世話になったし、第二の祖国といってもいいほど今の私の中では大好きな国です。こうして協力隊にならなければ、ソロモンに来ることもなかったし、出会えなかった人がいます。だから、ソロモンのことが嫌いになったから任期を早めたわけではありません。

協力隊としての私は終わりましたが、これからも私のことをよろしくお願いします。

ソロモンのネタはたくさんあるので、これからネット環境が整っているうちにたくさん記事を更新します。おそらく、ソロモンにいた時以上に更新できるかな、、と思います笑

任期短縮して思うこと

帰国前に考えてたこと

もし、私と同じように悩んでいる方がいましたら、私で良ければ相談に乗りますので、連絡をください。これまでも数名からインスタグラムのメッセージ経由で相談を持ちかけてきてくれました。本当に微力ではありますが、1人で悩まないことが一番かと思いますので、自分なりに納得のいく方法が見つかればいいなと思います。

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