私がソロモンに住み、こうして学校で働いたりして生活しているとつくづく思うことがあります。
それは
「時間を守らない」
こと
例えば、授業のチャイム。
手動で鳴らすので、時刻通りに鳴らさないと鳴りません。チャイムを時刻通り鳴らしても、生徒はあんまりいません。最初の頃は40分以上遅れてきた生徒は教室に入れませんでした。そうすると、だんだん生徒の数が減ってきました。まじめな?生徒はある程度いるので人数が0になることはありませんが、人数がいない教室というのも寂しいものです。
今まで「時間を守ること」は何よりも信頼を得るために必要なことだと思い込んできました。仕事に遅刻しないことも当然だし、友人と交わした約束だって同じです。たまにちょっと約束の時間が過ぎちゃうこともあるけど。「約束の時間が17時であれば16時55分には約束の場所にいるべきだ」そんな風に思っていました。
駒ヶ根で受けた訓練でも朝の集い(朝礼とラジオ体操)の開始時間の6時30分には必ず集合場所にいました。何よりも時間を守っておけば、「こいつは信頼できるやつだ」と思われると思っていました。実際、約束の時間や決められた時間を守る人は信頼できるなと思っていましたし、スケジュールのために前もって準備ができる人なんだなという認識で見ていました。
でも、こっちの国に来てからはそんな「思い込み」は捨てなければなりませんでした。
まず、飛行機ですら時刻通りに飛ばないし、バスに至っては時刻表なんてものはありません。行き先すらも書いてません。「じゃあこの後、4時に受け取りにくね」の約束は次の日になりますし。
お店の開店時間等もどこにも書いてません。
学校でも時間割通りには進みません。
というか、学校に時計が1つしかありませんし笑
こっちで働きはじめてからはかなりストレスでした。なにせ「時間を守って行動している」のは自分だけだったから。生徒も先生たちも含めて。それでも「私は日本人なんだから見本として時間は守らなきゃ」と思い行動していましたが、どうなったかは前述のとおり。
悩みました。
「どうして彼らは時間通りに動かないんだろう」
「時間を守ることという概念がないのか?」
「時計持ってないじゃん!」
「自分だけ時間を守っているという優越感に浸ってないか」
「時間通りに動くことってこの国ではそんなに大切じゃないのか」
「(日本では)なんであんなに時間を守ることが大事だって教育されてるの?」
「(ソロモンで)時間を守ることのメリットって?」
「時間を守らなかったらどうなるんだろう」
「(日本だったら)電車に乗り遅れたり、遅刻して怒られたり、信用を失ったり。。」
「別に守らなくてもいいんじゃない?死ぬわけじゃないし」
「なんやかんや時間にルーズでも、みんなルーズだから暴動とか起きないね」
「(日本では)時間に細かい人がいるから、そういう人たちにとっては時間が守れない人は信頼できない人と思われるだろう」
「(ソロモンでは)バスがこないから1時間待つこともへっちゃら。だって予定が遅れても何にも影響ないもん」
とまあこんな感じ時間を守らないとどうなる
「出発時間が遅れても気にしない~」
「イベントの開始時間が遅れても気にしない~」
「出発時間が遅れても、たどり着けばいい」
「イベントの開始時間が遅れても、無事に終わればいい」
こんな感じに捉えてるのがソロモン人たちです。せめてせめて、学校にいるときは時間を守ってくれないとこっちが困っちゃう。どんなにわかりやすい説明、理解しやすい教材を使ったところで、聞いてもらえなかったり見てもらわなければ全く意味がないし。毎回毎回、入れ替わりで来ない生徒の対応も大変。そんな様に時間感覚の違いで悩んでました。
今は、吹っ切れてます。日本だったら怒られるかもしれないけど、生徒がある程度集まるまで授業に行くのを伸ばしたりしてます。
そうしないとこっちがストレスでやられちゃう。
そもそも、英語での授業だし、日本でやれたことの10%もできてないんだし、ちょっとくらい授業の時間が短くなっても、そこに生徒が1人でも多くいるならそれでいいかなと。まずは授業云々よりも生徒との関係を築くこと。
「俺はこういう人間だよ」
「こんな場所で育ったよ」
「こんなものを食べていたんだよ」
ってな感じで、まずは自分を知ってもらうこと。
そして、授業に出てもらう笑
ここ最近は生徒も時間を気にしはじめた様子で「今何時?」って聞いてきたり、職員室にある時計を確認しに来る子達や、腕時計をつけた子も!!「なんで、時間を守ることが大切か」そんな疑問にちゃんと答えられないけれども。
時と場合によって、常に守らなくてもいいんじゃないかなって。
死ぬわけじゃあるまいし。
よっぽど大切なときは、しっかり時間が守れるくらいには意識できれてばいいのかな??そんなことを考えていた満月の夜でした。
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