noteはじめました!

このブログを書いてる人について

こんにちは

こんばんは

おはようございます!

この文章を読んでくれているということは何かの縁があってこのブログに飛んだということでしょう!

私は2017年〜2019年まで、青年海外協力隊として南太平洋にあるソロモン諸島というところにいて、現地の中高生と一緒に理科を勉強していました。

現在は、パラオという国にある旅行会社で働いています!

パラオに着きました。教員をやめて旅行業界に入った

自己紹介

まず簡単自己紹介をしていきますね。

出身地:神奈川県横須賀市

趣味:料理、野球観戦(横浜ベイスターズ)、カメラ、ギター

家族:父、母、祖母、弟、

音楽:RIP SLYMEをよく聴きます

年齢:2020年6月で29歳になります

ブログ運営の目的

大きな目的としては、青年海外協力隊としての私の活動を紹介すること、活動の現場であるソロモン諸島を一人でも多くの人たちに知ってもらうことです。

協力隊に興味がある人、ソロモン諸島に興味がある人、日本以外の学校の様子に興味がある人へ活動記録を届けたいです。

Twitterでもソロモン諸島で起こったことを発信していますので、ぜひ見てくださいね。

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ブログ運営をしようと思った理由

協力隊へ参加しようを考え始めてから、協力隊員のブログをよく見ていたんですね。Googleで「青年海外協力隊 ブログ」なんて調べたりして。

特にソロモン諸島に派遣されることが決まってからは「青年海外協力隊 ソロモン」なんて調べることが多くなりました。

もちろん、検索するとたくさん出てくるんですけれど、どのブログも職種や派遣国がちょっとずつ違っていてバラエティーに富んでたんです。特にソロモン諸島のことや理科教育など、私が参加しようとしているジャンルでブログを書いている人はほとんどいませんでした。JICAのHPを見ても個別の職種の様子や派遣国の様子なんてほとんどわかりませんでした。

「ソロモン諸島」で検索しても、大方は第二次世界大戦での出来事の話や数日の短期旅行のことばっかりで、現地に住んでいる人たちの「生の声」がほとんど出てこなかったんです。

それならば私がその「生の声」の一つになろうと。そう思ったんです

だから一般の人には一見無益に見えるような記事があるかと思いますし、SEO対策とかもあんまりしていません。もちろんやったほうが検索で出てきていいんでしょうけれども、検索のアルゴリズムは変化していくし、ソロモン諸島で検索してこのブログにたどり着いたなら、ブックマークして見てもらえるかなって。

少数のコアなファンができればそれでいいんです。痒いところに手が届くような記事が書けたらなと思います。

こんな感じで、ブログを書こうと思いました。

夢や目標

今持っている目標は先生の先生になること

これは今の今ままでずっと悩んでいたんですが、最近やっと「こうしていこう」と落ち着きました。

詳しくはいずれ記事にしようかなと思いますが、教員を養成する現場に立ちたいと思うようになりました。そのためにはまず「教育学」の基本から学ぶ必要があるなと思います。だから協力隊のプログラムが終わったら、大学院に進学して、もう一度しっかり勉強しようと思います。

これが現状の方向性です。

「最上の名医」という漫画をご存知ですか?小児科外科の医者を主人公にした漫画なのですが、その第一話でこんな描写があります。

そうか、小児の外科ってのは目の前の命を救うだけじゃない…
その先にある無限の未来の仲間や子孫たち…
つまり、無限の樹形図の先にいる人々も救っているんだってな。

これを読んだ時に私はこんなように置き換えることができたんです。

そうか、教員の教員ってのは目の前の教員を育てるだけじゃない…

その先にある無限の未来の教員生徒たち…

つまり、無限の樹形図の先にいる人々も教えているんだってな。

どうです?意味が通るでしょ?

そうなんです。教員を養成する立場になるということはそれだけ影響力がある立場なのかなと思います。もちろんまだ、大学院にもいってませんし、これからまたやりたいことが変わっていくかもしれません。それでも今はこんなことがやりたいと思ってるんです。

世界一速い人と言われたウサイン・ボルトさんでさえ、今サッカーがやりたいといって今はプロのサッカー選手です。

「やりたい」・「やってみたい」と思い、行動していくことは何にも変なことではないと思うんです

だから、わたしは教員の教員になってたくさんの教員に影響を与えていきたいんです。そう、私が大学生の時にお世話になった先生のように。

大学生の頃は「学校の先生になること」が一つの大きな目標でした。

教育学部でない学部出身の私は大学の授業や研究室での卒業研究の合間をぬって、教職課程の単位を取っていました。当時の教職課程の理科教育法を担当していた先生はとっても厳しい先生で、「理科を教えること」を徹底的に考えている人でした。当然半端な気持ちで単位を取ることはできず、教職課程が始まった大学2年生の時には200人ほどいたのが4年の最後には27名になっていました。それだけ、「とりあえず免許とっておくか」といったスタンスでは超えられない試練がありました。当然、すべての単位を修得し、教育実習を終え、卒業時に受け取った教員免許状は感動ものでした。

教員やめて海外に来ちゃった話

これもまた別の記事にして詳しく書いていこうと思いますが、ざっくりいうとテコ入れです。

非常勤講師として高校で働いていて、教員採用試験も受けずに「どこかの私立の学校で就職できたらいいな」なんて漠然と思っていたのですが、大学の同期たちが担任とは部活の顧問を持っている現状を目の当たりにして「このままでは」と思ったからですね。

海外に足を運んでみたら、なんか変わるんじゃないかなという漠然とした期待があったんですね。

今更、「どっちが良かったのか」なんて話は無意味ですけれど、日本にいたら絶対体験できないようなことやこれまで関わることのない人たちに会えたのはとてつもなく価値のあることだなと思っています

あらためて日本の良さを知ることができたし、逆に日本にはないものをソロモンで見つけることができた気がします。

これからの残されたソロモン生活でもっとたくさんの経験を積んでいきます〜

twitterでは記事更新情報も含めて、ソロモンで起こることについて発信しているのでよかったらフォローしてください^^

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