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何も達成せずに30歳になるのではないかという焦り

 

ふと、気がつけば、もう2018年の5月で、大学を卒業してからもう丸4年も経ち、「社会人5年目」の年度に突入していました。

大学を卒業して、非常勤講師として3年間高校と中学で理科を教えたのち、青年海外協力隊に応募して、なんやかんやあり、合格して、2017年の6月から2019年の6月までソロモン諸島という場所にいます。

都内の高校で働いてた時も、青年海外協力隊の面接を受けてた時も、まさかソロモン諸島で理科の授業をするなんて思ってなかったし、まさか英語で授業をしているなんて思っていませんでした。

私の周りにいる人たちに、今の私の状況がどう映っているのかわかりませんが、時々

「そんなところにいて、現地の生徒のために頑張ってるなんてすごい」

とか

「こうして世界のどこかで頑張ってる姿を見て、頑張ろうって思いました」

なんて言葉をもらうこともあります。が。

自分ではただただ教室に行って、生徒たちとおしゃべりをしているとは言いませんが、「生徒たちと一緒に勉強している」って感じです。
とてもじゃないけれど、日本でできていた「授業」の20%もできていないと思います。

言葉もまだまだ拙いですし、教科書も学年の分が学校に2冊しかないし、コピー機もプリンターも使えない時もあったり、コピー機はあるのに、A4の紙が品切れで手に入らないとか、雨が降って生徒たちが来なかったり、朝学校行ったら、なぜか鍵が閉まってて生徒が教室に入れてなかったり、突然始まる集会で授業が潰れたりとか、実験器具が足りないとか、、、、、

もうほんとに想定もできないようなことが起こっています。ほぼ毎日。

いつもなんだかんだ切り抜けて?きていますが、根本的な解決を試みることは難しく、「こんなんでいいのかな」なんていうような付け焼き刃の対処法ばっかりが身についています。
なんかそれにも慣れてきて

「ああ、またか。今度はこういうパターンか」

なんて新鮮味(真新しさ)が欠けてきて、忘れちゃうことも多くなってきたりして。。。

とにかく、まだまだ「頑張ってる」なんて言えないくらい、何もできてないんです。というよりむしろ、今までにも「何も成し遂げていない」んです。というよりも、自分が想像してた「30歳の時の自分」には届いていないし、私の周りにいるの先輩たちを見ても、「まだまだだな」と思うんです。

もうすぐ27歳になって、この青年海外協力隊のプログラムが終わる頃には28歳になっていて、そうすると30歳目前で、

「これからどう生きていこう」
なんて思いがずっと頭から離れなくて、悶々としてて、特に「夢」ってものを持っていないから、目標を見つけるための目標を探してる。そんな感じ。

焦っています。誰にも急かされていないのに。

そんな中、駒ヶ根訓練所時代の同期が素敵な夢を持ってて、それに向かって着々と準備を進めている姿を見て

「私も頑張らないとな!」
と強く感じて、

「これから」についてよく考えるようになりました。

そうして、人生後何年あるかわからないのですが、早々にして「普通の高校教師」の道から外れてしまった自分として、これから何ができるのかを意識し始めたわけです。

そんな前例があるのか無いのかわからないようなキャリアを作り上げていこうとしている私なりの決意表明というか

「これからの自分」に対しての約束をしてみます。

 

夢(やってみたいこと)を語ってみる

なかなか口に出して言ったり、正直な気持ちをぶつけることって難しいのですが、やってみたいことを口に出してみようと思います。

これからやってみたいことって言っても

「じゃあそれは実現可能なのか」

なんて聞かれたら「わからない」としか言えないような妄想ですし、両立をするのが難しいことなのかもしれません。けれども「こんなことができるようになったらカッコいいな」っていうがいくつかあるので、宣言しちゃいます。

 

 ソロモンとか他の開発途上国にある、壊れたり、メンテナンスが必要な顕微鏡を修理しに行くメカニックになる

ソロモン国内のいくつかの学校を見学して見てまわったのですが、それなりに大きい学校だと顕微鏡はあります。しかし、どの顕微鏡もメンテナンスが全くされないまま何年もほこりがかぶったような状態で放置されていたり、蜘蛛の巣だらけの環境で保管されていて、レンズがカビていたり、なぜかパーツが足りなかったり、光源が壊れていてうまく観察できない、などなどの様々な要因で「あるのに使えない」顕微鏡にたくさん出会いました。

おそらく、こういう現状はソロモン国内だけではなく、他に国にも起こっていることなんじゃ無いかなと思っています。

寄付で物やお金がくるから、顕微鏡を買うことはできても、それらに対して適切な管理方法やメンテナンスの知識までは一緒に買うことができないからかなと考えています。

そういう現状を目の当たりにして、「あるものを使える状態する」役割もニーズがあるんじゃないのかなと思いました。

 

 理科専門の塾のような、実験主体の科学教室を運営するor携わる

理科の実験って、学校じゃあなかなかできないんですよね。時間とか予算の関係で。それこそSSH(スーパーサイエンスハイスクール)のような学校は別ですけれども。
でも、理科を教えてる身としてはもっとレポートの書き方とか考察の考え方とかそういうものも含めて、じっくりと「実験の方法」を考えてもらいたい。目標としては(教えた)生徒が自分自身で実験を組み立てて実行して、その先の実験を考えられるくらい。

 

 でん○ろう先生のような出前科学実験をする

というよりも、でん○ろう先生のもとで学びたいです。
どうにかして会えないかなと模索中

周りと比較することをやめる

今までも、まあ今もそうなんですが、なんでも周りと比較してしまう。

例えば今だったら、同じ任地で同じJOCVなのに、配属先が違うだけで「こんなに住環境が違うんだ。。。」なんて思ってて、羨ましいっていう気持ちももちろんあるでしょうけれども、「この埋まらない差はなんなんだろう」って思ってました。

だって、結局協力隊で何をしたのかなんて、外部から見たら活動のことが目立ってきて、どんな生活だったかっていうところはあんまり注目されないような気がしてて。。。

けれども、私の尊敬する先輩から

「いい家はぶっちゃけどこでも住める。けれども、こういう日本には無い不便な環境はどこでも経験できるわけじゃ無いし、そこで過ごせたっていうことだけでもすごいことだよ」

と言われてハッとしたんです。

この経験がいつ活きるのか、正直わからないです。もしかしたらこのまま誰にも注目されないかもしれない。けれども、けれども、「この先何があるかわからない」なんてどんなことをしても難しいと思うんです。予測は建てられるけれども、予知はできないし。

自己満足かもしれないけれど、今こうして活動したり、生活したりしている環境って、そう簡単にできることじゃ無いのかなって思っています。(そう自分に言い聞かせて、自己肯定感を高めています)

だからむやみに周りと比較して、自分の環境が「もっと〇〇だったらな、、」って思わないようにします。
自己肯定感をもっと持つようにします。

小さなことでも「今日できたこと」を認めて自分を褒めてあげよう。

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