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私は「これからの2年間、開発途上国で過ごして、何ができるのか」を考えてみた

こんにちは

相変わらず、気温の変化がないソロモンで長い長い夏を過ごしています。
日本はもう肌寒くなった頃なのかな?
結婚式シーズン到来かな?
大学時代の友人が結婚して今月式を挙げるそうで。行けなくてごめんね。
少し気持ちの変化が出てきた?ので日記感覚でまとめてみようと思います。
たいしたことは書いてないので期待せずに。

TERM3が終わり、1週間学校が休みだったので、授業もその期間なかった。
普段は賑やか?な教室も休み期間ではまるで人気がない。
つい先日、ソロモンに来て3ヶ月経ったことを踏まえて、活動らしいことが何もできてないという記事を書かせてもらった。
思ったよりも多くの人に読んでもらえたらしく、仲の良い友人からも連絡が来た。
「思ってたような活動ができてない」
そう感じているのは私だけでないと、思えたことでどれだけ気持ちに余裕ができたことか。
そして、このTERM休みの間、ちょうどJICAに第一次報告書を提出するタイミングだったこともあって、「これまでのこと」「これからのこと」を考えるいい時間になった。
正直言って、何か閃いたということでなはいけれども、「腑に落ちた」とでもいうべきか。
「2年間で何ができるのか」
そんなことを考えてみた。
まず、私の活動の中心は理科の授業を担当することです。
現在が週24コマ、2学年各2クラス、合計約160人くらいの生徒をみています。(実際には130人くらいしか会ってないかも)
そんな毎日毎日授業をして、ソロモンの学校で働いて「こうしたいな」と思ったことがありました。
・授業のチャイムを時間通りに鳴らしたい
・授業の時間通りに生徒が来てくれるようにしたい
・授業の時間通りに先生も授業に行ってほしい
・出席簿の定位置を作りたい
・教室に蛍光灯をつけてあげたい
・教室の壁が壊れているのを直してあげたい
・トイレの水が流れるようにしてあげたい
・図書館がもっとオープンになってほしい
きっと「こうしたい」っていうのはキリがないと思うんです。
そして、2年間という期間が決まっているという存在の特殊性
配属先の学校での現地の人と同じように働いている。
にもかかわらず、「ボランティアとしてなにかしなければ」という意識が常に潜んでいる。
配属先はボランティアを「歓迎」しているが、どこまで「期待」しているのかはわからない。
接している限り、日本人として何かを変えてくれることを期待しているとは思えない。
ただただ、そこに「日本人」が「来た」ということを純粋に喜んでくれている。
現地の人たちは、そこで生活をしていて、家庭を持ち、子どもを育てている。
生活があるのだ。
そんなところに日本という国から来た26歳の男が、学校のシステムを変えたらどうだろう。
学校としての体制は日本に近づくかもしれないが、その分仕事も増える。仕事が増えることで、彼らが一番大切にしている家族と過ごす時間が少なくなってしまうかもしれない。
彼らにとっての「幸せ」を奪っていいのだろうか。否。そんなことはない。
結局、「日本産」の技術や制度を持ってきても、しょうがない。
では、我々がいる意味ってなんだろう。
押し付けるだけではダメなのだ。
自分が持っているものを、その土地で成長できるように形を変えて、性質を変えて、育てていかないといけないのだと。と悟った。
日本と違うからなんだっていうんだ。
効率が悪いからなんだっていうんだ。
別にいいじゃないか。
でも、ちょっとの工夫でよくなるものがあるとしたら、それは日本で培ったアイデアや発想を持っている我々の出番なんじゃないかと。
「アイデアを出す」というよりも「アイデアを一緒に練り上げる」ことが大事なんじゃないかなと。
閑話休題
思ったことを書きなぐっているので、文章が支離滅裂になっている。大変読みづらくで申し訳ない。
本題に戻ろう
私は「これからの2年間、開発途上国で過ごして、何ができるのか」
それはきっと、アイデアを一緒に練り上げて、今あるものをより快適に使える(もしくは効率が良くなる)ように、工夫を凝らすことなのではないかなと。
私の場合で言えば、理科室をより機能的に道具が利用しやすい環境を考える+安全に実験ができるようなインフラを整えることとかではないかなと。
まだ、私の頭の中での話だから、どうなるかはわからないけど。

 

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