先々週、一緒に働いていた同僚がなくなりました。今回はその時の話です。
話は、先々週の金曜日から始まります。
朝学校に行く前に生徒とすれ違い、その時に生徒から
「誰が死んじゃったの?知ってる?」
と言われ、
「え?なんのこと?知らないよ。」
というと、
「〇〇(同僚の名前)らしい、、、」
と。
正直、本当だと思わなくて、嘘でもそういう冗談を言うことに少し怒りのような感情が出てきたので
「とにかく知らないよ」
といい、学校へ向かいました。
学校へ行くと、生徒も先生たちも姿はなく、
「あれ?なんでだろ」
とか思いつつも、
「まあ、そのうち来るでしょ」
とか思って、しばらく経っても誰一人姿を見せないので、
「これはちょっと変だな」と思い、学校をうろうろして誰かいないかを探しにいくことに。
少し歩き回っているとちょうどそのタイミングで学校にやってきた一人の同僚に会うことができました。
「何かあったの?」
と私は聞きました。
「え?知らないの?アニータ(同僚の名前)が昨夜亡くなったのよ」
その瞬間、いやなんと勘が当たった気がして、上手く飲み込めずにいました。
「え??なんで?どうして亡くなったの?」
と聞くと
「喘息よ」
と。
喘息で死んじゃうのか。。。
日本でもよく耳にする「喘息」こっちでは「アズマ」と言います。英語と一緒です。
確かに、喘息持ちの人は、個人で喘息の発作が起きた時に使用する気管支を広げる薬を持ち歩いています。こちらソロモンでも、同じように気管支をひろげる薬が手に入ります。
しかし、発作が起こったのは深夜だったみたいで、何度か乗員を行ったり来たりしているうちに発作が強くなり、薬がなくなってしまったようです。
薬がなくなる。
そんなことが普通にこの国では起こります。
喘息の発作が起きて、薬もなく、苦しい中命を落としていったことを考えたら、とても苦しくなりました。
そんなことを考えながら、同僚のご遺体が安置されているという同僚のお家へ足を運んでみると、学校の関係者を含めて、たくさんの人がおうちに集まっていました。
「私が最後に来たのかな」
なんて思いながら、部屋の中に入っていくと、そこにはいつも笑っていた同僚の顔に布がかけられて寝ている姿がありました。
そして同僚を取り囲むように、8畳ほどの部屋に20人近くの人たちが座り込み、涙を流していました。
思わず、声が出そうになりましたが、言葉も出ないくらい異様な初めて体験する雰囲気に包まれていました。
15分ほど、その場に佇んていたと思いますが、だんだんとその場にいるのが辛くなってきて、逃げるようにその場を去りました。
もっとしっかり同僚の様子を見たかったのに。
逃げてしまいました。
不意に知らされた同僚の死と、目の前にあった動くとのない同僚の姿が見ていらなくなったのかなと思います。
そうこうして、家の外で待っていると、校長含め他の同僚たちが、こっちに来いと呼んできました。
どうやら、この後棺桶に入れて、ムンダというボートで2時間ほど移動した場所に移動する前に棺桶を装飾して最後のお別れの指揮を教会で行うようなのです。
同僚たちと一緒に作ったのは、クリスマスリースのような輪っかでした。
材料はその辺に落ちていた葉っぱとかその辺に生えていた花を摘んできたものです。相変わらず、その辺にあるものでそれなりのものを作り上げてしまうクリエイティビティは関心ものです。
そうこうしているうちにご遺体の入った棺桶が近くの教会にまで運ばれるということで、一緒について行きました。
教会では喪主や牧師さんが参列してくれた方々へ感謝の意を伝えたり、、亡くなった同僚の生前の様子を振り返るようなことが伝えられました。最後には、教会にいる全員で歌を歌っていました。私は、そういう教会の歌を全く知らないので、ただただ聞くだけでしたが、なんだかとっても厳かな気持ちになりました。
そして、ご遺体はボートでムンダという場所に。
ムンダへ移動する際に起こった珍道中はこちら。
ムンダ漂流記 〜ボートが故障して遭難しても慌てないために準備しておくこと〜
そして、ムンダにて行われるお葬式に参加することに。
ムンダは無くなった同僚の実家があるところで、ギゾからほど遠くない位置にあります。これまでに私も何度かムンダに来たことがあったので、馴染みのある場所です。
ムンダに着くやいなや、同僚の実家にて最後のお別れを告げる機会がありました。
棺の中に横になり、シェルマネーを身につけ、伝統的な衣装に着替えて、綺麗な姿になっている同僚を見て思わず、涙が出てしました。
同僚のお母さんとお父さんとも面識があったので、少し会話をしました。こういう時に日本語以外でなんて言葉をかけたらいいのかわかなくて、少し戸惑ってしまいましたが、それよりも同僚の両親は
「来てくれてありがとう」
と言ってくれました。
そして、みんなでお昼ご飯を食べて、まったりした後に、いよいよ土の中に埋める時間がやって来ました。
今まで、火葬しか見たことがなかったので、土葬はかなり衝撃的でした。
埋めた後どうなるんだろう。というのと
掘ってあった穴が思ったよりも深かったこと。
土葬の際にその現場を見に来た人たちの数の多さです。きっとその辺に住んでいる人がたくさん来たのでしょう。40人ほどはいたと思います。
あっけなく、棺桶は土に埋められて、少しもっこりした土の下には同僚のご遺体があるなんて信じられませんでした。それくらい呆気なかったのです。
無くなった彼女には3人の息子がいました。そのうちの一人はまだ5ヶ月ほどで、おっぱいを吸っていました。
3人ともまだお母さんが亡くなって、もう会えないことを認識できていないようでした。時々
「お母さんどこ?」と聞いている姿を見て、なんだか切なくなりました。
でも、同僚の両親含め、旦那さんや親族たちは、もちろん悲しんでいましたが、その同僚の「死」を受け入れていた気がします。
この国では、人は本当にあっけなく亡くなってしまいます。医療水準が低いせいもありますし、薬がなかったり、病院へのアクセスが悪かったり、ドクターがいない病院があったり、、、
だけれども、それだからこそ、「死」というものが身近にあって、いつ死ぬかわからないと覚悟しているというよりも、生き物は生きている限り「死」があって、その「死」というものが単に他の人よりもちょっと早かっただけなんだ。といった感じで捉えてるのかなと感じました。
決して死がありふれているわけではないですが、ある程度覚悟をしてるのでしょう。
そして、もし不幸があった時には、家族やワントクが全力でサポートし、その友人も全力でサポートする土台が形成されています。
そんな、「互いに助け合うこと」がなんのためらいもなく行われている様子を見て、「日本ではこういう時どうなるんだろう」と考えました。
日本だったら、医療水準が高くなって、そうそう簡単に死んでしまうことはないですが(もちろん、不慮の事故とかは別です)、まだまだ多くの国ではこういった「諦めるしかない状況」が多いです。
だからなのかもしれないですが、病院に対してのクレーム等もあまり聞きません。
むしろ、病院に入院している人で、「もうそろそろかな。。」という状況になったら、家族を呼んで、最期の時は家族と実家で過ごす。。。なんて選択肢を取る方が多いようです。
そうやって、最期の時間を精一杯家族や大切な人と過ごすことで、しっかりと見送ってあげる。長生きさせるよりも、生きてた時間を充実させる。そういったことが重んじられているんだなと感じました。
それと同時に「生きてた」ということをどういう形で残すのか。ということが頭の中に浮かんできたのです。
一体、何人の人が私が死んだ時に悲しんでくれるのか。
一体、何人の人が私が死んだことに関して関心を持ってくれるのか。
人数だけじゃなくて、「生きてた」時に、一体何を成し遂げることができるのか。
一体何人の人を笑顔にすることができたのか。
そんなことを考えてしまいました。
私はまだ27歳で、寿命が来るにはあと80年くらいありそうです。
でも、不慮の事故でトラックから転落して死んでしまうかもしれないし、飛行機が墜落して死ぬかもしれない。
そんな不安定で、先が読めないのが人生なんだなと。
そんないつ死ぬかわからないからこそ、今を精一杯生きて、できる限りのことをやろうと思いました。
もちろん、未来を見ないというわけではなくて。。
でもついつい休日はゴロゴロしてしまうのです。。意志が弱い、、、
少し長い文でしたが、呼んでいただきありがとうございました。
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