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辛くても逃げることができない時

ここ最近、といってもかれこれ半年ほど前から思っていることなんだけれども、JICAボランティアの一つ、青年海外協力隊に参加して色々かんがえたことがあって、今回はそれを書いていこうと思います。
現在私はオーストラリアの北東、南太平洋に浮かぶソロモン諸島という国の地方都市Gizoという町にあるGizo CommunityHigh School という幼稚園から中学校、高校までが併設された学校に派遣されていて、その中の中高生に対して理科の授業を受け持っています。
青年海外協力隊に派遣される前までは都内の学校で何校か非常勤講師として働いていて、それらの学校の契約が切れたタイミングで協力隊に参加しました。だから、協力隊が終わってから仕事をするなりして生きていくためのお金を稼いでいかないといけないのです。JICAからちょっとは帰国したタイミングでお金が入るけれども、ほんのいっときを過ごすための資金という感じであまり期待はできない。
協力隊に参加する人の中には「現職教員参加制度」(制度の名前は正確に覚えてないけどもこんな感じ)っていうのがあって、県や市の教員が籍を残したまま、お給料もほとんど変わらずもらえる、とってもメリットのある制度があって、同期の多くはこの制度を使ってきています。むしろ教員で使ってない人の方が珍しいくらい。それもあってかよく「現職参加?」と聞かれます。が、違います。
現職参加できている方も同じように、学校に派遣されたり職業訓練校に派遣されたりと配属先は多岐にわたるのですが、期間が少し短くなっています。というのも、協力隊は基本2年間が任期ですが、現職参加の人たちの場合、3月末まで仕事をし、4月から7月まで語学訓練を日本で行い、そして派遣され、翌々年の3月末に帰国し、4月の新年度から元の現場に復帰という形をとっているところが多いため、派遣期間が1年9ヶ月ほどになっています。
これから教員として協力隊に参加しようとしている方、よく聞いてください。
語学を学びたいなら、留学した方がいいですし、いわゆる国際協力をしたいなら、少なくとも教員としては派遣希望しない方がいいです。
というのもいくつか理由があるのでそれを書いていきます。

1配属先が学校ということで、思っていた協力隊の活動ができない

今こうして現地に派遣される前までは協力隊の活動って、学校で授業することはもちろん、現地教員にたいしてアドバイスだったりとか、いわゆるワークショップ的なことが多いなって思ってたんです。けれども、私の場合、割り当てられる授業の数が多すぎて、他の先生の授業も見にいけないし、授業の準備をしなきゃいけなくてなかなかうまく活動できないからです。
もっと、インスタ映えならぬ「協力隊映え」する活動がしたいなら、配属先が学校の要請は避けましょう。

2英語圏の場合、英語は基本使わない。というか使いにくい

協力隊に参加して実際に配属先に行く前に、日本で70日間の語学訓練があるんです。それぞれの派遣国・地域に分かれて英語やスペイン語、フランス語などを学ぶ機会があります。
大洋州に派遣される隊員は英語を勉強していきます。訓練所のことについてはここでは触れませんが、個人の努力によってはある程度コミュニケーションが取れるようになります。
ソロモンの場合、文字として使われてるのは英語ですが、話し言葉はピジン語という現地語です。英語に似てると言われますが、やっぱり違います。語彙が似てる部分もありますが、やっぱり違います。それに、発音とかも違うので、オーストラリア人の英語とかを聞くと「違う言語だな」って思います。
授業は英語を使ってやってます。が、本当に基本的な表現なら伝わりますが、わからなくても「わかった」っていう人たちなので、どこまでわかったのかわかりません。説明した後に、すぐ問題を解かせても、質問の意図がわかってない人も多いです。
結局使うのは現地語。
職場に英語ネイティブの方が多いところや、同じ敷地内に英語が堪能な人が住んでるとか、そういうケースも多いので一概には言えません。過度な期待はNGです。特に国や地域差が大きい部分でもあるので、他の地域や国が羨ましくなる時があります。

3 やっぱり日本語以外で授業するのは大変

主な仕事内容は授業を持つことです。現地の子たち相手に。日本語学校ではない限り、日本語はまったく通じません。一度教壇に立ったことがあるならわかると思いますが、母国語を使ってでさえ、「いい授業」をするのはなかなか難しいのに、ましてや英語などの外国語を使って授業するなんてもっと難しい。
それに、これは途上国でからでもあるのか、プリンターがなかったり、教科書がなかったり、電気がなかったりと、機能面でも日本に比べると格段に違います。
まあ、「そんな中で工夫してやってください」っていうのが本質なんでしょうけれども、それにしてもなかなか大変です。言葉ではうまく言えないけれど。
特に授業だけじゃなくて、生徒の態度だったり行動が気になった時に「これはこの国では許されている(もしくは注意されるまでもないこと)なのか、どうなのか。」といった文化というか教育のスタンスの違いから生まれる心地悪さというものがあるはずです。
実際にあったことだと、授業中に普通にガムを噛んでたりとか(一応、校則では禁止になってます)、ゴミだらけの教室とか、あげてったらきりがないんですけども。。。
「そういうもんなんだ」といって受け止めるのか、なるべくストレスにならないように変えていくのかは本人次第なんでしょうけどね。私の場合、半年ほどは様子を見ていましたが、今年からどうにか指導していこうと思っていて、それが悩みのタネになっているので、これもまた難儀な話です。
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こういった「今までと違う環境」を楽しめるかそうでないかといったところは、ボランティア本人が持ってる気質以外にも働く環境だったり、住まいの環境だったり、相談できる相手がいるか否かだったりと様々な要因があるので、一概には言えません。突然、不安になってどうしようもなくなる時だってあります。私だって突然不安になる時があります。逃げたくなる時もあります。授業に行きたくない時もあるし、実際に行かなかった時もあります。
国のお金で来てる以上、辛くても逃げることができない時があるんです。少し前に「逃げるは恥だが役に立つ」なんてタイトルのドラマがありましたね。逃げる=日本に帰る(任期短縮)という意味で言っていますが、病気だったり治安の悪化等でやむおえないこともあります。心の、気持ちの問題で帰りたいと思うこともあるでしょう。けれども、派遣されるまでには多くの人が関わって、こうして日本とは違う環境に立てているわけで、そう言ったことも踏まえたら簡単には帰るという決断はできません。踏ん張りどきなんです。
この文章は誰に向けて書いているかというと、他の誰でもない自分自身に向けて書いています。
正直いうと早く帰りたい笑
でも帰りません。任期は全うします。意地でも。
たとえ生徒の態度が悪くってムカついても
たとえ同僚との関係が悪くなっても
たとえ住環境が良くなくても
たとえ活動がうまくいかなくてやるせなくなっても
やり遂げることに、やり遂げた後に感じる何かがあるはずです。そう信じています。多分こういった悩みだとか、葛藤とかは、実際に体験した人じゃないとわからないと思います。協力隊に参加した人でも感じない人もいると思います。たとえ誰にも理解されなくても、自分自身を肯定できる「成し遂げたこと」の一つとして残るはずなんです。そう信じてないとやっていけません。
環境のせいにしたら楽でしょう。
「うまくいかないのは、〇〇が無いからだ」
確かにそうかもしれないですが、それでも無いなりに、違うなりに工夫してうまくできる方法があるはずなんですよね。生徒とうまく関係が築けていないのも、言葉のちがいだけじゃなくて、文化的な違いがあるんでしょうけども、きっと、きっと改善に向かえるような方法があると思うんです。まだ見つけることができてないし、実際に行動できるかはまたわからないけども。
きっと。まだ見つけることができてないだけ。もしかしたらずっと見つからないかも。それでも探し続けるために行動し続ける必要があるんです。他の誰でも無い、自分自身のために。
きっとこの経験が自分を変えてくれるはず。
そう信じて。

 

2年間を終えた後の自分に向けて。

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